ソウル松坡一帯で伝えられてきたソンパ・タリバルギは、正月大望月の夜に橋を渡り、厄を払い足の無事を祈る歳時風俗です。しかし松坡の様式は一般的な「踏橋」とは大きく異なります。橋を渡るだけで終わりません。まず行列(キルノリ)が始まり、続いて庭での舞が行われます。先唱りとプンムルが人々を引き寄せ、松坡山台ノリや先唱り山打令が加わることで、踏橋は大規模な遊びの場へと発展しました。ソンパ・タリバルギは無病を願う風習であると同時に、ソウル東南圏の市場文化と演戯の風景を今に伝える民俗芸術です。
踏橋の風俗が松坡で大きな遊びへと変わるまで
橋を踏む風習そのものは古くから存在します。李睟光の『芝峯類説』ではこれを「踏橋之戯」と記し、高麗時代から続く遊びとされています。また『京都雑志』『洌陽歳時記』『東国歳時記』にも、大望月の夜に広通橋や水標橋へ人々が集まった記録が残っています。身分を問わず列をなして橋を踏み、笙や太鼓の音が夜遅くまで続いたといいます。
松坡で規模が拡大した背景には市場がありました。漢江に接した松坡場は商人が集まる大きな市場で、市が立つと山台ノリ、相撲、綱渡り、音曲の場が開かれました。山台ノリの演者や先唱りの一座が踏橋に加わり、行事はにぎやかな祭りへと発展しました。20世紀初頭の記録にも、農楽隊が先導し、橋の上や周囲で住民がともに踊った様子が記されています。
伝承が途絶えかけた時期もありました。1925年の大洪水、さらに解放と朝鮮戦争を経て弱体化しましたが、1950年代後半から復興の動きが起こり、1970年に調査・記録が進められました。1989年にはソウル市無形文化財第3号に指定され、現在は保存会によって継承されています。
山台ノリと先唱りが結びついた踏橋
ソンパ・タリバルギの特徴は、演戯構成にあります。役柄の名称からして山台ノリに近く、庭の舞ではその動きが再現されます。先唱りが始まると山打令の一座が場を導き、踏橋と演戯は一体となって進行します。
先唱りの比重が大きいのにも理由があります。かつて松坡・夢村・石村一帯では冬に刻みタバコの加工が行われ、人々は地下作業場に集まり作業しながら歌を歌いました。その中でも先唱り山打令がよく歌われ、生活の中で培われた音楽がそのまま行事に取り込まれました。
市場経済も重要な役割を果たしました。商人たちは市場の活気を高めるために各種演戯を招き、山台ノリの演者たちもこの流れの中で活動しました。踏橋が総合的な民俗芸術へと発展した背景には、この市場文化がありました。
行列から月の家焼きまで続く現在の形
現在の構成は、行列―庭舞―先唱り―橋渡り―供儀―月の家焼きへと続きます。旗や象徴物を先頭に行列が進み、農楽のリズムが場を盛り上げます。先唱りでは前山打令、後山打令、早山打令が順に歌われ、それに合わせて踊りも変化します。
参加者は自分の年齢の数だけ橋を往復し、無病息災と健康を祈ります。橋の中央で礼をし、橋の下に供物を捧げる場面もあります。満月の下で願いをかけた後、最後に月の家を燃やして厄を払います。
参加人数はおよそ30人前後で、旗手や踊り手、楽師、先唱りの一座など多様な役割が一体となって舞台を構成します。ソンパ・タリバルギは単なる歳時風俗ではなく、音楽・舞踊・役柄遊びが結びついたソウル型の総合民俗芸術です。
現代の都市の中心にありながら、大望月の夜の願いと歓びを今も体感できる生きた文化として受け継がれています。
ニュースカルチャーのM.J._mj94070777@nc.press
Copyright ⓒ 뉴스컬처 무단 전재 및 재배포 금지
본 콘텐츠는 뉴스픽 파트너스에서 공유된 콘텐츠입니다.